序章

序章


 誰もが中学時代に理科の授業で、生き物、食べ物、飲み物、土、石、岩、水、そして空気など地球上に存在する物質全てが、これ以上小さくすることの出来ない100あまりの元素というものから成り立っていることを習った。

 元素は原子とも呼ばれ、この原子には核があり、この中には陽子(P)と中性子(N)があり、プラス(+)に荷電されている。

 核の周りには電子(e)があり、マイナス(-)に荷電し、丁度、太陽と地球の関係のように電子が核の周りを引き合うようにして回っている。

 各原子には固有の番号があり、その番号と同じ数だけの電子を持っている。これが何かといえば、全ての物体はさまざまな原子が電子の存在によって、結びついているということである。そんな大事な物体の結合因子の電子が、物体から抜き取られたり、電子の結合が弱まったとしたら、物体は正常な状態で存在できなくなるのは、当然のことである。しかし、この種の電子理論は膨大な数にのぼり、言い尽くされているのだが、当事者も含めて大半の方々はこの重要な事実には感心が無いようで、理論倒れで、現実の話には至っておらず、実践面での実績は芳しいものではない。

 ナノレベルにした白金を用いた生体への電子供与理論が、10年ほど前から実践されているようであるが、成果が上がっていれば、大きな話題性で、世の中が騒然とするのではなし、かと思われるが、大きな成果が得られているようなニュスは聞こえてこない。電子チャジャなる器機も高額で商品化されているが、病気の治癒に大きな役割をしている話はないようである。考えるに、これまでのこうした実践方法には、生体が受け入れない決定的なものがあったと推論する。

 それは電子に満ちた状態にするものとして、何が最も適切であるかを考え、武器とするものの素材が何でも良いということではないと思う。先ず、生物体に対して、電子を供与する物質の開発を目的として理論武装した場合、素材は絶対に生物由来のものでなければならないということである。

 前述した白金は生体に吸収されず排出されるとのことであるが、基本的に単一元素のものを私たちは食していないので、白金は生体にとっては異物になる。体内で電子誘導は生じるのであろうが、異物に対応した反応も生体は防御反応として行動するので、良い結果が生じたとしても別の負の反応も覚悟しなければならない。

 そのプラス、マイナスの差し引きをすることは、真の電子供与物質とはいえないのではないだろうか。たとえそれがどんなに優れた、すばらしいもので、あっても、功罪両面があっては究極の良いものとはいえないだろう。

 現代医療は大半が化学物質を素材とする薬に頼っているが、この薬には薬理効果と副作用の明記が義務付けられ、副作用の無い薬はほとんど無いといっても過言ではない。

 それは化学物質が、生体成分ではなし、からで、生体には異物だから、体は化学物質を侵入者として認識し、敵対視し、応戦するので、生体に余分な負荷を与えてしまい、更に自らが活性酸素という毒を出して電子を奪い取る反応が生じることで、生体酸化が促進される。つまり、薬理的効果が一時的にはもたらされたとしても、侵入してきた化学物質という毒の除去で電子を奪われる羽目になっているのが、現代医療の実態なのではないか、癌治療に用いている抗がん剤や放射線などはまさに癌をやっつけているのか、応援しているのか、本当のところ、どっちなのだろう。うまくいって功罪相半ばして、体に毒を一定期間蓄積・滞留させているのだから、体内で毒消しが完全に行なわれずに、残存していたならば、いずれ手痛い逆襲を受けざるを得ないであろう。

 私は、もし理論がパーフェクトならば、必ず実践においても成果が十分に期待でき、さらに副作用は生じないと思っている。

 化学物質が生命を救う薬として存在している現代社会が、私には、どうしても信じられないことなのである。何故かといえば、生体に存在しないものは必ず有害作用を生じ破綻をきたす可能性が高いからである。

 現代生活はもう取り返しのつかないレベルまで、生体を無視した、合成化社会になっており、その結果として癌や、脳血管障害、心臓病、糖尿病、アトピ性皮膚炎をはじめ、種々の疾病が増加の一途をたどり、この異常な状態に私たちは気づき、是正していかなければならないのに、麻癒してしまい、異常とは感じないような、慣れっこな感覚に浸り始めているのは非常に良くないことである。「皆で渡れば怖くなしリ、「誰もがやっているから悪いことでもいいだろうJといった考え方が蔓延しているので、「癌も皆がかかっているから怖いけどしょうがない。J的な考え方が、残念ながら大勢を占め、拡がっているのはなげかわしいことである。

 こうした偏重した風潮がこれ以上ひどくなるのを何とか今、食い止めなければ、人類だけでなく生物全体、そして地球環境が本当に完膚なきまでぶつ壊されてしまう時が来てしまうのではなかろうか。

 私は従来から語り尽くされている、電子理論をより現実化させ、パ フェクトに近づけることで、現代人が抱える生活習慣病からの脱出、あるいは、克服を実践し、成果がより高い確率で得られるためのプロジェクトである「偉大な先人達の電子理論の応用と再研究jを推し進めるための武器の開発をした結果、生物や地球に有害作用、例えば、活性酸素・フリーラジカルを生じないで強烈な電子供与を持つ物質・生物無機元素体(Bio Inorganic Elements.BIE)の開発、製造へと至った。

 現在、このプロジェクトに賛問いただいた方々によって、一歩一歩、衣食住をはじめ、健康、美容、環境浄化など、さまざまな分野で、実践の積み重ねや検証が実行されている。我と思わん方はこのリニューアルされた電子研究を自らの手で実践・検証されてみてはいかがですか。


2015年9月 中山 栄基



第1章 人類は、悲劇を嘆くことで満足している

第一章 人類は、悲劇を嘆くことで満足している



 私は地球という住み家に暮らすこと僅か60数年に過ぎないが、今の地球は自然環境をはじめさまざまな角度から見て、あまりにもおかしい、何かが狂ってしまって、良くない方向への急速な変貌を遂げていることをひしひしと感じる現在である。

 これは著者だけではなく、数10年この地球に暮らしている者誰しもがおかしいと感じているのではないだろうか。しかし乍ら、人間とはおろかなもので、置かれた環境に長く滞在していると慣れが生じ、それに適応してしまう習性がある。そのギャップを差し引いても異質な変化を如実に感じるのは地球環境が音を立てて変動しているからに相違ない。

 アメリカ国務省の魚類、野生生物局で10年以上にわたって、野生生物の保護に関する情報の収集活動に当たっていた、レイチェル・カ ソンは、農薬を中心としたさまざまな化学物質の自然界への放出、散布で、春に芽吹くはずの植物が、全く芽を吹かず、押し寄せてくる渡り鳥がほとんどこない、見虫も魚の姿も見えない、春というのに生き物の騒動が無い様の克明な調査結果を報告書をしてまとめた。

 化学物質による環境汚染は生物界を襲い、暦では春なのに、自然界は冬のままの状況としづ世界中を震憾とさせた20世紀最大の生物障害の実態を暴き、未来に拡がる環境破壊の警告を描いた「サイレント・スプリング 沈黙の春」は1962年に刊行された。しかし、こうした事実が突きつけられでも、国、組織そして企業などは化学物質をさらに加速度的にふんだんに用いて、自然界への挑戦を続け、人工化への傾斜を深めていった。その結果、人類の多くは自然界に生育する野生生物と共生することを放棄し、鉱物、石油、石炭を原料とした合成化学物質や人聞が開発した動物、植物、微生物を利用した人工、養殖、合成化社会の構築を徹底して実践していった。その結果が現代社会である。

 都市の中心部ではほとんど土に接することが無くなり、都市部に住む人は裸足で土の上を歩くことなど皆無に近いほど体験しなくなってしまった。こうした現象は農村、漁村でも拡がり、自然を大切にしない思考、習慣が当たり前になってしまい、川は下水道になって暗渠化されたり、山は切り崩され、その土で池や湖、海がどんどん埋め立てられ、住宅地になり、野生の生物の居場所が地上から次第次第に姿を消してして時代に突入している。

 人類は天変地異においても空のはるかかなたに存在する地球のヴェルであるオゾン層にまで影響を与え、さまざまな化学物質の仕業でオゾンホルと呼ばれる穴をどんどん開けてしまい、その穴から宇宙の有害な光線が地上、海上に降り注そいでいるので、このままでは短期間のうちに、陸上では動物が生息できなかった何10億年も前の地球環境に戻ってしまう可能性すら生じている。

 炭酸ガスの発生量の増加で急浮上した、地球温暖化現象は目に見える形で年々被害がひどくなる傾向をみせている。南極、北極の氷は解け始め、これまで、の最小面積を記録し、ロシアの永久凍土地帯といわれている地域もその兆候を見せ始め、そのうち、日本みたいな温暖な地になるかもしれない。海抜の低い地域は水没してしまうであろう。

 どうやら、大自然が本格的に怒り出し、大量の死者が出るような大型のハリケンや地震、台風が続出し、野生動物たちは住む場所を失い、熊も猪、鹿なども人間の生活環境にまで平然とエサ探しに出没しているありさまである。

 地上に動物たちが生息してから永々と受け継がれてきた秩序立てていた自然界の仕組みゃ、営みが、人類の出現によって、今、音を立てて崩れだしている。さらに悪いことに自然界の秩序を少しでも守ろうとする個々人や団体の力よりも壊そうとするカ(国家権力)のほうがはるかに勝っているので、状況は絶望的ともいえる。

 レイチェル・カ ソンは化学物質による毒性の実態を暴露し、警告し、安易な使用に歯止めをかけるために「沈黙の春」を表したのは事実であるが、本当に伝えたかったことは「生物界は多種多様の生物が栄えたり、滅びたり、喰ったり、喰われたりしながらも一定のバランス、秩序を保って生態系が維持されているのだが、今、この秩序がくずれている。Jさらに、「これまでの地球の歴史では特定の種の生物だけが繁栄することはなかった。ところが、人類は今、特定の種の生物として自然界に君臨しようとしている。人聞にとっての有害生物と無害な生物を区分けして、有害生物は徹底して駆除し、排除し、殺害してきた。しかし、この区分けは人類に対してだけのものであり、ほかの生物のためにではない。そして、その排除方法の手段の1つとして、化学物質を用いて駆逐行動を行なったので、ある。」

 「自然界の生物の中で、微生物たちは人類の挑戦に対して、最初は敗北し、駆逐されていたが、すぐに抵抗する能力を学習し、たちどころに化学物質に負けない耐性が出来てしまい、いくら人聞が生物にダメジを与える化学物質を作っても、すぐに学習してより強力な生物へと変身してしまっているのが現状である。」

 レイチェル・カ ソンが一番認識してほしかったのは、「人間は皆自然界の営みを尊重し、共存共栄して謙虚に生物界の一員として、生命活動をしなければ、自然界からとてつもない逆襲を受けるよ。Jということだ、ったのだ、と痛感する。しかし、いつの間にか「沈黙の春」は嘆きの本という位置づけにされてしまい、化学物質は必要悪で、毒性の弱いものにチェンジしていけば安全であるという方法で、現在、膨大な数の化学物質がさまざまな分野で利用されている。

 レイチェルは50年以上も前にもかかわらず、農業だけに限定せず、あらゆる角度から化学物質の恐ろしさを的確に指摘していた。彼女は化学物質を否定し、許容はしていなかった。しかし、国家は極めて少数の特定の化学物質だけを否定し、それらをスケープーゴトに仕立て上げ、これらによって起こった災害、被害について嘆きながらも、必要悪であることを強調重視し、合成化学は現代社会の推進役であるとして、ほとんどの化学物質を容認し、一部の物質に対してのみ許容量を設けて規制したにとどめた。

 我が国でも化学物質の有害作用を憂い 警告を示す本は沢山あるが、それ以上に解決する案を提示している本や論文は存在するとは思うのだが、私は残念ながら目にしていない。レイチェル・カソンは合成化学の進歩は、人類の滅亡につながることを自分の調査結果から予言している。地球規模の時間でいえば極めて短時間で、その時が来ることを私も感じざるを得ない。だから、嘆いていても何の解決にもならない。

 身近なところから少しでも自然を取り入れ、人工、養殖化した合成化学物質に傾斜した社会を元に戻す生活を、1人でも多くの人々が実践すること位しか小市民には方法はない。となると、多数が自然を重視した志向を取り入れやすい分野は私の見解では「食」と「健康」と「理容、美容」であろう。 



 食と健康は生命の原点である。生命活動にかかわ ることは人間にとっての基本そのものだから、何はさておいても真剣に取り組むテマで、誰しもが関心を持っと共に、何とか打つ手が無いものか、暗中模索しているのも事実であろう。

どんなに権力を持っている人間でも、大富豪でも人生100年生きるのが大まかな限界ラインであり、しかもその人生を健全な状態で過ごせるのは、これまた、さらに少なく限定される。しかし、たとえ僅かな時間であっても健康でいられることは人間にとってかけがえのないものである。だから、不老不死なる物質jを求める人が後を絶たないのであろう。

 しかして、現代版「不老不死物質Jとは何であろうか、さしずめ「食Jこそが、健康の素であり、体に悪影響を及ぼすものを食べないことが健康を守る秘訣の主たる1つと考える。しかし、それだけでは、あまりにも消極的な思考で、添加物の入っている食品は危険だから買ってはいけない、使うなというだけの警告レベルで終わってしまい、真の解決にはならない。後で詳しく述べるが、いくら節度ある生活をしても、ある一定の確率で病気は生じ、発癌も生じている。

 さらに、見た目の美しさも現代生活では大きなウェイトを占め、どんな年齢になってもヒトは美しくありたいと努力するのは当然のことといえるでしょう。しかし、この理容、美容の世界ほど化学物質漬けになっている分野はないといえるほど危険な人工毒にまみれている。

2-1. 化学物質を排除し、野生を喰う


 さて、食の世界において、もう一歩、思考を進め、食材にこだわってみると、体に良いことの私の見解では、ベストは自然界に自生している野生生物をともかく食べることである。次には人間の手によって管理はされてはいても化学物質を使用しない生産技法で栽培、飼育された食材を選ぶこと、そして、化学物質をすべて排除した「食作り」に徹底すべきである。

 しかし、これだけではまだまだとても万全とはいえない。何故ならば、人間は地球上に数百万種類に及ぶ合成化学物質を大量に撒き散らし、その上、まだ新しい化学物質を作る路線を驀進中で、合成化の真の怖さを認識していなしい。となれば、その化学物質に取って代わる安全な自然界が生み出した生命物質(Nature Bio Substance)が求められるし、その物質が化学物質の持っている有害作用を消去できる能力をも求められる。

2-2. 化学物質の最大の欠点は、生物体との融合性を欠くこと


 私が化学物質を否定する真の意図はといえば、人間が化学物質を開発したのはある角度から見れば大成功だったのだが、生物体との融合性の面では合体しないという極めて致命的な欠点を持っているからに他ならない。そして、この欠点は現代および未来の人類にとってまことに不幸なことである。それでは化学物質が生物体との融合性を欠くという結論に対する説明をしなければならないが、自然界の営みを理解している人なら、そんなことはいまさら不要だとのご指摘を受けるかもしれない。鉱物や石油、石炭などを原料として作られた化学物質は生態にとって存在しないものであり、異物である。勿論、地球にとっても、これまで存在しなかったもの故、やはり異物になる。生体中の化学物質がただ単に存在しているだけの異物で、あったとしても、生体はこの異物を敵とみなし、排除するための攻撃を仕掛ける反応をおこす。その攻撃に使用する武器が、俗に言う、活性酸素あるいはフリ ラジカルと呼ばれる電子略奪者であり、これが瞬時に体内で製造され、敵に対応するが、この武器そのものが、体内で残存すると、たちどころに生体破接物質になってしまうロ又、化学物質は生体構成成分である元素の原子間の結合秩序を壊したり、誤作動を誘発させたりと、様々な妨害活動をしていることが原因となり、癌をはじめとする現代病の蔓延を加速度的に増大させてしまう要因であり、張本人と断定できる。人類や地球環境に強烈な悪影響を与えた、ほんの握りの僅かな化学物質だけをピックアップして、危険だ、有害だといってうわべだけの規制をして、何百万種に及ぶこの張本人グル プを野放しにしている現代社会に住む私たち、一個々人、小市民が自衛としてなすべきことは、先ず、脱化学物質活動を自らの生活の場で実践し、出来る範囲でいいから、自然のものに触れ合い、取り入れることをすべきである。

 カップ麺というインスタント食品1つを取ってみても、この商品が本当に食品といえるのだろうか、ここから考え方をスタ トさせてほしいのである。確かに、お湯さえ入れれば空腹感は満足するかも知れない。しかし、この食べ物と称するものが、体の血となり肉となり、栄養源になりますか?化学物質という毒を、いったい何種類入れたら気が済むのかという位、添加物てんこ盛りではないか!

 そればかりではなく、容器は保温効果に優れたポリスチレンであり、内側には耐熱の化学薬品がコーティングされている。蓋の部分にはアルミ箔が施されている。さらに、製品全体を包む透明のプラスチックが被覆されている。化学物質混入の麺や汁を体内に入れた後には、化学物質で出来たプラスチックのゴミが残る。これが、ゴミ処理施設に運ばれ、熱処理方法で目に見えない元素化合物になって大気中に放出される。残骸は固化した元素化合物である。

 コンビニの前の路上に座り込んで、インスタント食品を食べている人をよく見かけるが、これが文明国の実態だとしたら、まことにお寒い限りで、本当に彼らの家庭はどうなっているのだろうかと、考えてしまう。我が国は合成社会化が進んでいる便利さだけが先行して、「食」の本分をないがしろにした「いかがわしい食品」がはびこっている本当の原因は、消費者本人達が作ってしまったものである。例えば、うどんを食べるなら麺まで作れとはいわないが、自分の手でダシをとり、味付けした汁を作り、麺をゆで、野菜などの具を入れて、きちんとした器(うつわ)に入れて食べる。それくらいの手間は使って、食事はしましようと言いたい。「人に良しリと書くのが食だとすれば、カップ麺は「食品」ではなく、「毒品」であり、プラスチック容器が残物として生じるので、「ゴミ品」でもある。
こんな小さなこと1つからでも始めたら し、かがわしい毒品、ゴミ品である偽食品がなくなる糸口になるのではないだろうか。

第2章 化学物質とは何ぞや?

化学物質とは何ぞや?



 化学物質とは読んで字の如く化学つまり「ぱけがく」の力によって元素同士が結びついて出来た物質、つまり、もともと地球に存在していたものではなく、人間の手で合成された物質のことである。同じ構造を持った寸分たがわぬ同一物質が大量に生産できるので、衣類、建築物、乗り物をはじめ、生活用品のほとんど全てが、またたく聞にこの化学物質中心になってしまい、もともと存在していた自然界の物質は、どんどん生活の場から消えていった。

 合成化学社会は「便利だよ」「快適だよ」「何でも作れてしまうよ」「空も飛べるよ」「海底深く、長く潜行していられるよ」「熱を逃がさないよj「木じゃないのに水の上に浮かぶよ」まさに万能とも思えるほど、化学物質の出現は人類の行動能力を変えていき、生物界ではもはや敵無しの王者になってしまった。その結果、大量の化学物質を作るための生産工場が世界中いたるところに作られ、人が密集する都市には高層建築が乱立し、地面には土が見えなくなり、アスフアルト、コンクリト化され、大地に水が惨みこまなくなり、当然植物は姿を消さざるを得なくなっていった。



 あまりにこの化学物質の用途が広いので、人類は自分たちに敵対行動をとる、あるいは不利益となる生物に対して、大量に化学物質を使用するようになった。農薬、殺虫剤、殺鼠剤、殺菌剤、抗生物質、そして医療に使う薬品までもが化学物質中心となってしまった。その結果、地球全体に化学物質が撒き散らかされ、地球環境は今まで地球上に存在していなかったものが、隅々まで存在するようになってしまった。

 化け物が本性を現し始めたのは、便利さ、快適さに慣れ親しんだ頃からで、人間にとって最も大事なものである「生命と健康Jを脅かし出したことである。それでも人類は洗脳されてしまっているので、化学物質第一主義を貫き、食と健康、医療の分野にも化学物質を大量に使用するようになり、今やその絶頂期にある。

 毎日、口の中に入れ、生命活動をするためのかけがえの無い食品にまで化学物質が使われ、体の中に断りも無く侵入してくる。病気で苦しんで、いるときに、薬までもが化学物質なのである。自分の体の中に存在しないもので、病気を治そうというのである。



 大きな戦争が起こるたびにとてつもない化け物が開発されてきたのは歴史を紐解けば納得されよう。ダイナマイト、毒ガス、毒薬、爆弾、鉄砲、戦車、軍用戦闘機、軍用船、潜水艦、さらに原子力を利用した兵器など、数え上げたらきりが無いほど沢山の人殺しの道具が化学物質によって作られている。こんな浅ましい人間違を作ってしまったのは、化学物質という化け物の仕業なのであるのに、まだ、多くの人々はこの事実を分かろうとしない。

 人間はよほど手痛い目にあわなければ認識できないのだろうか。しかし、手痛い目にあっても「忘却のかなたにJで、事実が進行形であっても過去形にしてしまうのも、化け物に洗脳されたおろかな人間たちの生き様なのかもしれない。

 原子爆弾を落とされた日本人、使用したアメリカ人、ベトナム戦争で枯葉剤という農薬を撒かれたベトナム人、使用したアメリカ人、第2次世界大戦でイベリットやコレラ菌をはじめとする化学兵器、生物兵器を使用された中国人、使用した日本人などなど、次から次へと、こうしたおろかな行為は後を絶たない。最近では、中東、アフガニスタンなどで起こっている戦争に毒ガスや劣化ウラン弾など、殺数兵器を使って大量に人を殺している事実は、人間の心の中に魔物がいるからなのだろうか。それとも、体の中に化学物質という異物が入りすぎて、人間自体が化け物になってしまったのであろうか。



 自然界に存在するものは何 っとして同じものは無い。土でも、石でも、岩でも 水でもさまざまな物の混合物である。生き物は当然一生命ずつ構成成分は違っている。ところが、化学物質は全く同じものを大量に作ることが出来る。又、全く純粋な元素化合物も作れる。例えば、純金を買うとき、99.9とか99.99などスリーナイン、フォーナインという言葉が使われますが、これは純度を示したもので、混じり気なしですという意味である。アルコールも99.9%アルコールとか70%消毒用アルコールなど、人間は純粋なものや、きちんと決められた混合比率の混合物質も自在に作れる。しかし、人聞はこうした混じり気なしの物体や体の構成成分ではないものが、体の中に入ってくると、パニックを起こしてしまい、体内は異物相手に戦闘状態に陥ってしまう。こんな馬鹿げたことが、四六時中行なわれていたらたまったものではない。

 我々は500万種類ともそれ以上とも言われる化学物質の存在する環境を作ってしまい、その中にズッポリと浸った生活に明け暮れしている。危機感をあおるような言い方になってしまうかもしれないが、食べるものについて考えただけでも毎日、農薬や化学肥料、抗生物質を使って、育てた作物という作られたものの野菜や穀類、果実、そして酪農、養豚、養鶏、養魚、養慢などの養殖動物の肉や卵、乳などの素材を食べ、又、食品添加物入りの加工食品を食べて生命活動をしている。ということは、毎日、毎日、何十、何百という化学物質が少量ではあるが、我々の体に侵入している。
これは我々のご先祖様である、何万年前、あるいはもっと前の人聞が、ほかの動物に比べて弱者であった頃の野生人と比べて、明らかに体内状況には違いが見られるはずである。

 確かに、喰うか喰われるかの環境条件にいたご先祖様方には、現代人には無い自然界の厳しい食料状況や毒性物質の存在はあったが、化学物質という毒は存在しなかった。当時の野生人達から見れば、現代人の寿命はものすごい延命状態にある。だから、現状に満足すべきであるという考え方もあるが、我々はそれで良し、かも知れないが、数10年、数100年さらに数千年先のことを考えると、人聞が作った化学物質で、地球は充満してしまって、生物が住むことの出来ない世界になってしまうかもしれない。

 排気ガスによって地球温暖化は日増しに現実性のものとなり、南極、北極の雪や氷は、ものすごい速さで解けていること、サイクロンやハリケーンなど、これまでの台風や津波とは全く規模の異なる自然界の怒りが猛威を振るい出し、何千人、何万人という死者が1回の嵐で生ずるような災害が頻繁に世界のあちこちで起きている。これは間違いなく天災ではなく、人災である。人類が化学物質を使って我々の住家である地球をぶつ壊しだした結果の代償として生み出されたものである。



 今、我々に求められていることは、人間一人一人が、今、使っている化学物質一つ一つを毒として認識することが出来るかということ、そして、その後に何をするのか、毒を認識した化学物質を体内に入れさせないような努力を生涯にわたって行なうことが出来るか、さすれば化学物質の使用量が減り、次第に人類は化学物質に頼らない生活の実践を進めていけるのではないだろうか。現代社会は個々人の力よりも企業の力が優先している。本来、国は個々人で成り立っているはずなのに、組織や企業の力が国を動かしているのが現代の趨勢である。

 それ故、個々人は化学物質を使わない、食べないような自衛を講じれば企業も化学物質の製造をやめたり、減少せざるを得なくなると思う。人間のエゴ丸出しの企業のトップの信じられないような話がある。某インスタントラーメンのメーカ の社長さんであるが、自分は40年間自社のラーメンを食べ続けているという話である。もし本当なら、病気にならないか心配であるが、いたって元気とのことである。ところが、内部告発があって、この社長さんが食べるためのラーメンは全く化学物質の入っていない特別製造のラーメンとのことであった。

 これほど消費者を馬鹿にした話は無いが、こんな企業が五万とあるのが我が国であり、氷山の一角として、食品の偽装などが、雨後の竹の子のように摘発されている。我が国の消費者は組織や企業に馬鹿にされ尽くされている。それでも本気で怒ろうとしていない。のど元過ぎれば熱さを忘れる。人のうわさも75日だから、どんなに痛めつけられでもじっと我慢をしている。今、消費者は怒らなければならない。お金を払って、体をぶつ壊されるものを食べさせられているのが現実である。

 国は合法的に毒であるにもかかわらず、1000物質あまりを食品添加物と称して、その使用を認めている。文明諸国でこれほど多くの物質を食品添加物として認めている国はそうはない。いかに国民の健康をなおざりにしているか、食品添加物1っとって見ても明らかではないか。
だからこそ、「自分の体は自分で守るしかなしリということになる。しからば、どうすべきかを身をもって行動していただきたい。「歴史は繰り返すJではなく繰り返らせないための技法を身につけてもらえれば筆者として本望である。

6-1 地表周辺に存在するものは比較的毒性が少ない


 私たちの祖先の人々は、地球上にあるがままのものを利用して生活をしている時には、今日のような環境問題や生活習慣病などは全くといって良いほど存在しなかった。生命を脅かすものは自然そのものであった。毒をもった植物や動物を食べて中毒をおこしたり、死に至ったり、あるいは他の動物に食べられたり、人間は多数の動物と同じ境遇にあった。自然界はお互いが生きるための最低限の防御はしているが、それ以上のものは無かったと思われる。生物の生命を脅かす無生物の毒物は大気や水、地表面で見る限りは特定な場所を除いては存在せず安全であった。海も、陸上も無数の動植物であふれ返っており、時折、火山活動や地震によって地中深くに存在する物質が地上に現れ、恩わぬ被害を与えるが、天変地異のことで、こればかりは防ぎょうがなかった。天然ガスや石油、石炭も、人聞が採掘をしなかったならば、自然発生的に少しは地表に現れたかもしれないが、今のように、掘りつくしてしまうほど、大地に穴を開けていくことはなかったであろう。

6-2 地中はまさに「パンドラの箱」




開けたらこれまでに見たこともない化け物たちが無尽蔵に飛び出してしまった。でも、何万年も前のご先祖様たちには、そんなことは全くわからなかった。地表にころがっている石や岩の大部分はさわっても毒にはならない。まして、石や岩を食べる者はいないから、普通は口の中には入れない。

 土も何10億年という時を経て、生物の死骸が作り出した表層のものは害にはならない。むしろ、植物、動物の循環環境で作り出された大事な産物で、生物の栄養源はすべて、この大地の表層にあるといっても過言ではない。

 地球表面の土は私たちご先祖様たちの遺産であり、贈り物、この中に含まれている栄養を植物が吸い上げ、その植物を動物たちが食べ、いつしか動物も植物も朽ち果て、大地に戻り、土に返る。その繰り返しで地球の生物は生命活動が出来ている。

6-3 今、騒がれている毒の話は30-40年前の話と大差がない




私が化学物質の毒性研究の世界から身を引し、たのが平成6年の初めだ、ったので、もうかれこれ15年の月日が過ぎているが、最近やたらと有害重金属の恐怖やら、デトックス,つまり,解毒の方法や、農薬の恐怖を書いた本の復刻版など、化学物質の有害性を書いたものがやたらと目立つ。

 しかし、その内容となると、私が研究していた頃とほとんど変わりがなく、改めて、毒性学が進展していない状況に、背筋が寒くなるような思いをまざまざと感じたが、そのなぞはすぐに解け、それは毒の専門家の方々が書いているのではないので、過去の発表から抜き出したものがほとんどのため、上っ面のことしか伝えていない。例えば、重金属の話でも、水道水に鉛が多く混入しているので、この鉛を取り除くには、RO膜での滅過しかないと述べているが、本当に水道水に鉛が多く含有しているのだろうか。もしそうなら、その原因を追究すべきであり、根源を断つ手段を講じるのが先ではないだろうか。
しかも、RO膜を使用したら、全ての元素を取り除いてしまうので、飲用水には適合しない水になってしまう。
又、体内の鉛の除去にはキレート剤がいいとか、カドミウムにはメタロチオネイン、水銀にはセレンが毒消しをするなどを得々と説明しているが、こうした手法は1970-1980年代の解毒研究のメインテーマであった。

6-4 塩ピの水道管にも鉛が使われている


 私が毒性の世界に入った昭和42年は鉛中毒がかなり騒がれており、印刷の活字がまだ鉛で作られていた。又、水道管も鉛管・鉛盤共同組合なる組織があり、水道水が酸性になると鉛の溶け出す量が多くなると言われたものだ、った。その後、塩化ビニール管になり、水道水に鉛が流出する可能性はなくなったとされていた。少なくとも大多数の方は今でもそう思っているだろう。しかし、塩ピ管でも鉛が使われていた!

 即ち、塩ビ樹脂の安定剤にステアリン酸鉛という有機鉛が使われており、塩ピ管や、このステアリン酸鉛の製造工場などの調査に私は何度も足を運んだ。この塩ビ管からどれだけの鉛が溶出するかは定かではないが、樹脂に鉛が使われているということは一般的には知られていない。鉛は顔料としての用途が知られており、樹脂の色づけにも使用されていた。同様にカドミウムも黄色の顔料としても知られ、ビールひんのプラスチックパッケージのあの鮮やかな黄色はカドミウムの色であった。

 こうしたプラスチックの製造工場では、当時真っ黄色になるほどで、タンブラ の中に樹脂を入れ、カドミウム顔料をペレットにまぶす作業場ではカドミウムの飛散はひどかった。だからといって私は過去の思い出にひたっているわけではない。毒の世界では今も昔に比べて良くなっているかといえばそうとは一概に言えない。むしろDDTとか有機水銀やベンゼンなどの強い毒性物質が影を潜め、代わりに極めて微量で長い期間の摂取による’慢’性障害が主流になっているので、化学物質は深く静かに潜行して、人目につかず、目立たずに体が少しずつ蝕まれていくタイプの毒物が横行しているので、一見、人工毒は解決を見たかのようであるが、その実、逆にひどくなったといわざるを得ない。


第3章 合成化学一辺倒の現代社会に終止符を打つ

第3章 合成化学一辺倒の現代社会に終止符を打つ


 嘆いているばかりでは何の解決にもならないのは、歴史が証明している。レイチェル・カーソンが、今から50年ほど前にあれほど警告した農薬の有害作用をDDTとかBHCだけをスケープゴードにして農薬そのものを人類は温存した。その結果は現在の農業のあり方を見れば、一目瞭然である。今では極めて多種類の農薬が開発され、50年前とは比較にならないほどの使用量となっているのはなんとも皮肉なことではないか。



 許容濃度という安全のボーダ ラインを作って化学物質の使用を認めるような政策が人類と地球を滅ぼす元凶であることを世界中の人々に知ってもらわなければならない。

 何故かといえば、中国で大気中に放出した有害物質が、偏西風に乗って日本各地に大気汚染をもたらしているのである。又、我が国の食品の自給率は40%を切っている状態で、後は海外からの輸入に頼っているわけで、どれだけ化学物質まみれで作られているかもわからない食材を私たちは口にしているわけで、世界が一体となって化学物質を使わないような社会を少しずつでも構築しない限り、何百年か先には人類はいなかったなどということが現実化することも夢物語とはいえまい。



 私は30年近く化学物質の毒性を検索する業務にどっぷり浸っていた。人生の約半分である。この毒物屋稼業の体験が、これから本題に入る私の「電子再研究jに大きな影響を与えたのはいうまでも無いことであるが、もっとも大きなプラスになった資産は、「化学物質の安全性の許容量を決める試験をすることは、毒についての知識のない一般の使用者に、国が決めた、許容量以下なら安全だということを植え付けさせてしまうという とんでもない行為であることを知ったことである。」 まさに、これが国策であり、企業擁護策であり、使用者の健康を考えた上のことでは全くといっていいほど、ないと言えることである。何故ならば、この許容量なるものは時の流れと共に、変更しているのである。しかも、規制されている化学物質の数は、0.1%にも満たない。例えば、職場で使用されている化学物質に対する環境基準は300物質程度であり、大気中の化学物質についてはもっと少ない。

 食品添加物は1000程度であるから、規制している化学物質もそれ以下である。500 600万種といわれる化学物質のうち、曲がりなりにも毒性調査が行われているものは、せいせーい10万種までであろう。全体の2%程度しか実施されていないのが現状であるが、許容量や使用量が制限されているのはさらにそのうちの数%程度にしか過ぎない。

 おおよそ0.1%程度ということになるので、1000の化学物質から1つだけ選んで規制している比率である。



 冒頭でも申し上げたように、化学物質は地球上に存在しない物質なので、生体にとっても、存在しない異物であるから侵入された場合、敵とみなし、排除する行動にでる。この行為そのものが、体にとって大きな負荷がかかる。さらに化学物質固有の有害作用があれば、さらに体は負荷がかかるのは当然である。

 そのようなものに対して、ここまでは安全であるというような基準値など設定すること自体がおかしい。ゼロ以外の基準値などない。何故かといえば、極めて微量で何の変化も生じないレベルの摂取でも、生物界全体で見ると、生殖異常や、奇形などが生じており、何世代にもわたって化学物質の障害が出現するなど、これまでの急性、あるいは繰り返しの摂取で生じていた障害だけではなく、子供や孫さらにその子供というように、気の遠くなるような長い世代を経て、障害が出るような毒性の可能性が示唆されるようになったo



 つまり、どんなに僅かな量であっても生物が持っていないものが、体に入ってくると、いつか障害をきたす、ということが、動物界や植物界で異変として起こっている。それが「環境ホルモン」なる造語の化学物質でちょうど10年前に、脚光をあびたものであったが、今ではほとんど活字に出てこなくなってしまった。環境ホルモンが解決を見たわけでもないのに!私たち人類は本当に熱しやすく、冷めやすい生き物なのですね。そして学習能力が欠知しているのはこれまでの歴史がよく証明している。「歴史は又、繰り返される」この言葉はまさしく言い得ているのではないだろうか、つまり、化学物質の許容量など決めても、それは、その人本人がある時期まで、障害が生じないという可能性を示しただけで、それすらの保障もこころもとない。というのは、人聞は単一の化学物質だけを摂取しているのではなく、何十、何百という化学物質の侵入を受けて生活している。しかるに、この許容量はその物質だけが単独で入ってきた場合の有毒性だけであるから、全くといっていいほど実態を表してはいない。 (表4-1-1)

表4-1-1 内分泌攪乱作用を有すると疑われる化学物資

(1)上記中の化学物質のほか、カドミウム、鉛、水銀も内分泌撹乱作用が疑われている。
(2)環境調査の欄では、●は検出例のあるもの、○は未検出、印のないものは環境調査未実施。
(3)規制等の欄に記載した法は、それら法律上の規制等の対象であることを示す。化審法は「科学物質の審査及び製造等の規制に関する法律」、大防法は「大気汚染防止法」、水濁法は「水質汚濁防止法」、海防法は「海洋汚染及び海上災害の防止に関する法律」、廃掃法は「廃棄物の処理及び清掃に関する法律」毒劇法は「毒物及び劇物取締法」、家庭用品法は「有害物質を含有する家庭用品の規制に関する法律」を意味する。地下水・土壇・水質の環境基準は、各々環境基本法に基づく「地下水の水質汚染に係る環境基準」、「土壌の汚染に係る環境基準」「水質汚濁に関わる環境基準Jをさす。
(4)登録、失効、本邦未登録、土壊残留性農薬、作物残留性農薬、水質汚濁性農薬は農薬取締法に基づく。
(5)P0Psは『陸上活動からの海洋環境の保護に関する世界行動計画Jにおいて指定された残留性有機汚染物質である。





 水俣病という、まれに見る1つの企業のエゴイズムで生じた大規模な環境汚染は、世界中の人々に、化学物質とはかくも恐ろしい化け物であることを、白日の下にさらけ出した事件であるが、当事者にとっても地球環境にとっても、全く解決してはいない。水銀で壊された方々の体は、元どおりには戻っていない。それどころか、もっともっと悪化している。病気を治すことはおろか、少しでも良化させることすら、出来ていない。

 環境も同じである。自然界を汚した有機水銀化合物は水、土壌に深く渉み込み、動植物、微生物に侵入し、生態系への新たなる障害の時を待っている。化学物質の毒作用に対して、現代医療とはかくも無力で、無抵抗であったとは!自らの手で作り上げた合成化学物質の副作用を修復する能力を全く持たずに、現在も大量に作り続けているのである。

 ごく僅かの水銀で、も、それが子や孫、そしてひ孫にと、遺伝情報としての異物反応が伝えられたら、とてつもない有害作用が生じる恐れがあると推測する。何故かといえば、代表的な環境ホルモン物質である、メチル錫や、エチル錫、ブチル錫などの有機錫化合物は船底や魚網の貝などの生物付着防止塗料として、広く利用されてきているが、私が携わった動物実験や作業者の障害事例などから猛烈な皮膚障害と、肝臓障害を生じることが、判明した。ところが、この有機錫化合物を、少量与えた動物を2代、3代と交配させて、子孫の健康状態を調査した結果、さまざまな異常症状が示された。私は、有機水銀と、有機錫化合物の毒性の程度を比較するような、馬鹿げたことをするつもりは無いが、金属同士が有機化したものでお互いに極めて激しい有害作用を生じていることで、一方は次世代にも影響を及ぼしているとなれば、私は水俣病がこのまま収束すると考えるよりも、次世代以降に障害が生じる可能性の方が強いと考えた方が確率が高いのではないか、それ故、当事者の健康状態を少しでも良くすることと共に、次世代への影響を起こさせないようにするための処置を、早急に行なう必要を私は感じてならない。

第4章 人間にとって毒とは何ぞや

第4章 人間にとって毒とは何ぞや




 国語の辞典では「毒jとは、健康や生命に害のあるもの(こと)と書かれている毒という字を分析すると、下の「母jはすることなかれで、否定を表す。上の「主」は土に が余分にあり、土に余計なものが混ざっていたりするもの、あるいは土にクサカンムリが、1つ足りない十で正常なクサ(十十)ではない植物がはえたもの、つまり異常なものが毒の原点ではなかろうか。生体は健康に適応したものを食べて、生命活動をしたいのだが 体に有害作用をもたらすものを全く入れずに、長い一生を平穏無事に暮らすことなど出来るはずが無いのは言うまでも無いことであるが、私たちは毒に対する一般的な認識としてどのように持っているかと言えば、食べたりつけたりしてすぐに症状や反応が生じなければ、とりあえず大丈夫だろうという安心感が頭を支配する。そして、疑ってかかるという危険予知が消え去ってしまう非常に悪い習慣・習性が身についてしまっている。それでも近年は長期間の摂取で体が蝕まれ、ボロボロになってしまったアスベストによる肺癌、鉛、水銀、カドミウム、マンガンなどの重金属中毒などは、人類にとって最悪ともいえる有毒事件ではあるが貴重な体験でもあった。

 こうした過去の犠牲から、化学物質の本性が白日のもとに暴かれたのだから、この教訓を生かさなければ犠牲者は浮かばれない。でも人類は懲りずにすぐに毒性が生じないものに対して気を許し、少量なら問題ないだろうというような安易な気持ちで化学物質と付き合っている。本当に学習能力の欠知した動物ではないか。

 毒の字がついた法律に「毒物及び、劇物取締法Jがあり、医薬品、医薬部外品を除く農薬、工業薬品等の日常流通する化学物質のうち、毒性の強いものを指定し、毒物と劇物を分けて規制している。さて、皆さんは毒物と、劇物の違いが分かりますかな。



 毒物と劇物、どっちが強い毒をもっていると思いますか?

 よく道路を走っているタンクローリに、毒とか劇とか書かれているのを目にすることがおありのことと思いますが、では、毒物と劇物はどんな違いがあるのだろうか、当然、これらの化学物質の取り扱い責任者の試験を受けている方なら知っているのが当たり前でしょうが、それ以外の人にはあまり知る必要が無いのかもしれないが、一つの知識として覚えておかれるのもよいのではないだろうか。

 人体への有害作用の強弱を決める試験方法の一つに、一回だけ食べさせたり、ある時間だけ、一定量、あるいは一定濃度の化学物質を吸わせるなどして、一定期間内に死亡するか否かで毒性の強さを決めるLD50値、LC50値という、急性毒性試験があるcこのLD50値が30mg/kg体重以下の化学物質を毒物、30~300mg/kg体重が劇物として指定している。これは何を意味するかといえば、一回の経口摂取が、体重1kg当たり、30mg以下で半数が死ぬ量をあらわしている。つまり、体重50kgの人だったら、30mgx50=1500mg=1.5g食べて100人のうち半数の50人が死ぬ量をあらわす。強烈な急性毒性を示す代表である青酸カリなどは毒物に指定されている。劇物は30 300mgの範囲であるから、毒物から見ると急性毒性は弱いことになる。つまり、急性の死亡毒性だけを見れば毒物は劇物より毒性が強し、ということになる。

 しかし、これはあくまでも一回の投与なので 一回では死なないが 繰り返しの投与で悲惨な毒性症状を呈する物質は沢山あり、むしろ、これらのほうが恐ろしい。さらに、もっともっと低い濃度で全く無反応でありながら、次世代以降に中毒症状が生じるようなものはもっと始末が悪い。

第5章 野生は味方、合成は敵

第5章 野生は味方、合成は敵


 今、私たちに最も欠けているものは土とか、水、空気、そして自然界に勝手気ままに生息する生き物に目を向けることで彼等がいなければ自分たちは成り立ってし、かないのだと言う気持ちを持つことである。

 衣、食、住その他、何でもかんでも人工化、化学的に作られた世界にどっぷりと浸っている文明諸国の人々にとって、自然界など眼中にない。だから、人工化したもののこわさを知らずに無知のまま平気で、使っている。

 私は本書の中で、人工化の怖さを思いつ切り話していきたい。それも、何10年も前に私が体験してきたこと、危険だとわかっていたことが、今ではもっとひどくなっているようなので、毒物の現場から離れて20年近くが経つのに、未だにこの世界では時間が止まっているようである。いや、もっと悪い方向に進んでいるのかもしれない。それは言いすぎだよと言われるかも知れませんが、早く時計を動かして、止まっている時間を正常化する必要にせまられているのは、私だけではないはずである。

 地球の表面を何10億年かかって作り上げてきた生命の土をないがしろにして、地中深くから、希少な鉱物を取り出すために 掘り起こし目的とするものをとったら、それ以外の膨大な地中の無生物物質を大事な生物の産物の土の上に積み上げていく。この地中の残澄には生命活動を支えているものなどは全くないので、その地域は生命活動に悪影響を与える毒物が、逆に出現するなどの問題が過去にいくたびも生じている。足尾、別子、佐賀関などあまたの鉱山の鉱毒問題などはその最たる例である。
パンドラの箱とはあるがままのこれまでの状態から、その奥底に隠され、封印されていたものを引き出してしまったことで、状況が一変したことをさす。現代生活などはまさにパンドラの箱が開きっぱなしで、地中深くのものは引っ張り出すわ、大空の果ての地球を覆っているオゾン層という防御壁も壊しにかかって、宇宙の有害な光線やエネルギ がこの穴から吹き込むなど、人間はやりたい放題の環境に悪いことをして、自然と人間とを遠ざけている。



 人類は化学物質を作ることは出来たが、生命体だけはどうしても作ることが出来なかった。つまり、生命体は合成することは不可能なのである。もし、生命の合成が可能になれば、人類は永遠に生き続けることも出来るかもしれない。しかし、どんなに科学が進歩しても、生命だけは作れない。これはまさに神の領域だからであろう。

 と、するならば人間の英知をもってしても作ることの出来ない神の領域が創造した生命体を使えば、化学物質など必要としない生活が可能になるのではないだろうか。

さらに、化学物質の持っている有毒作用をも無毒化できるはずである。つまり、自然界に勝手気ままに生息する生命体のうち、キマンとなっている植物をタゲットにすれば合成化の世の中に対抗する武器作りができる可能性は高い。



 化学物質の構成成分は、地球上に人間が作り出した、もうこれ以上小さく出来ない、単一物質である元素の集合体であり、これが原子聞を結合させている電子の存在によって物質が形成されている。しかし、電子が存在しなくなれば、物質としての存在もなくなる。

 生命体も原子の結合した集合体であり、当然のことながら、電子の存在で成り立っている。それ故、原子間の結合に携わっている電子が生命体から抜き取られると生体は劣化したり、異変が生じて不具合が生じ、病気へと向かうことになる。物体も生体も共通しているのは、構成成分が原子であることと電子の存在が不可欠である。



 野生生物は自分を防御するための手段として有毒成分を含有しているものがある。又、毒はなくてもトゲをもっていたり、アクがあるとか、さまざまな防御方法を備えている。

 我々のご先祖様は幾多の犠牲のもとに、食べられる生き物と、毒があって食べられないものを区分けすることを伝えてきた。しかし、キノコでも、見分けのつかないものがあり、今でも死亡者や中毒者が毎年出ている。文、高麗人参に似た毒人参もあり、今年(2008年)は水仙とニラを間違えて出荷して、中毒事故を招いたこともあった。

 かように自然界のものには、一つ間違えるとトリカブトのようにとんでもない毒性をもっているものもあるので、化学物質に対抗する無毒な物質作りの原料選びには細心の注意を払わなければならない。しかし、植物原料の選択は全く必要がなく、どんな植物でもかまわないという発想でないと化学物質に対抗するものとして、広く普及することは出来ない。要するに植物から毒性となる元素を除去してしまえばどんな植物でも利用できるのである。勿論、繁殖力旺盛の植物の方が採取しやすく、又、生命エネルギーも高いことからより良いとは思うが、本来はどんな植物でもかまわない。ただし、一種類ではなく、海のもの、陸のものなど、バラエティに富んで、多種類の方が良いのは当然である。

 生命体は有機結合体であり、水素、酸素、炭素、チッ素の4元素で95%程度を占め、それ以外の元素、100種類あまりは無機質(ミネラル)と呼ばれ、数%しか存在していない。生物の毒性部分の大部分を受け持つのが、水素、炭素、酸素、チッ素で、この原子聞の結合に携わっている電子聞の結合にくさびを入れることによって、この4原子がバラバラになる処理を行い、生命体を無機元素体に加工してしまえば、限りなく無毒になる。植物はもともと毒さえなければ食べられるものである。

 古来より、人類は植物を生命活動のために食べてきた。それ故、生命無機元素体(Bio Inorganic Elements)として摂取しても生命体には異物とはならない。これが化学物質とは決定的に異なる点である。



 名も無く、強く、たくましく自然界に根を張り、勝手気ままに自生している植物に対して、文明人は邪魔者扱いして、庭に生えていると根っこから引っこ抜いたり、刈り取ったり、もっとひどいのは除草剤などの薬品をまいて、根から枯らしたり、ひどい仕打ちをしてきた。

 誰も雑草木を大切にしようなどとは思っていないのに、雑草木は毎年閉じ場所に生えてくる。人間などが手入れをしなくとも、還しく自分で生きているのは、栽培したものと比べて大変な違いである。この違いが、人類にとって健康に大きな影響を与えてくれる。

 作物と野生植物の主要なミネラルの分布を見れば一目瞭然で、表5-4-1で見てお分かりのように、雑草木では、カルシウム、ケイ素、カリウムが措抗して多いが、作物、つまり作られたものは、カリウムが圧倒的に多く、次いでリン、マグネシウム、そしてカルシウムとなっている。

 この作物のミネラルの分析は、女子栄養大学が行なったものを参考にさせていただいたが、ケイ素が測定されていないので、私が稲ワラで調べたところ。カリウムの2倍も多いことが分かり、これを参考にすると、作物は大地に最も多いケイ素が多く、さらに、化学肥料のミネラル分布になっていることは疑う余地がない。

 ところが、雑草木は自分の体に必要なものを勝手に吸収していることが手に取るようにわかる。そのバランスは生体のミネラルバランスと共通しているのである。これは人類が植物を中心に食してきたからに他ならない。こうした背景のもとに私は野生植物を化学物質の毒消し、毒出し、そして、取って代わるものの武器作りの原料に選びました。では、何故、野生動物は使わないのかといえば、水俣病でも分かるように動物は植物に比べて化学物質の拒否能力が高くありませんロたとえ野生で、あっても人工毒の影響を受けてしまいやすいのと、動物は植物が存在しなければ生きていけません。植物は動物にとっての生命線なのです。それ故、私は野生植物が私たちにとって真の救世主であると考えたのです。

表5-4-1

野生植物と栽培作物中の主要元素バランスの差異

各種植物の指数の計算式・・・・ 各元素の含有量/カルシウム含有量


野生植物、栽培作物中のカルシウムの指数はすべて1,000であり、この指数をもとに各植物の元素バランスを見ると、野生植物はカルシウムを最も多く含有し、ついで、ケイ素カリウムとなり、作物はカリウム、リン、ケイ素が多く、カルシウムはかなり低いレベルである。しかし、稲わらはケイ素が最も多く、大地に圧倒的に多い元素を必然的に吸収させられている。


玄米、小麦、その他の野菜、果物は残念ながら、ケイ素の判定が無いが、カリウム、リン、マグネシウムがかなり多く、カルシウムが少ないことが特徴的で、化学肥料のバランスの影響が、はっきりと現れた結果を示している。作物は作られた物と書きますが、まさにその通りで、野生植物とは全〈異なってしまっています。







「生物還元物質、植物マグマの無限の力」 (平成20年12月発行) 著者:中山栄基